40年に渡り連載された大人気漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」、通称「こち亀」。
型破りな警察官、両さんこと両津勘吉が大活躍する説明不要の作品ですが、後半になるにつれて、内容に対する不満が多数出るようになり、オールドファンほど嘆くことが多くなりました。
「100巻までは面白かった」
「両さんが寿司屋をするようになってからつまらなくなった」
というような嘆きをよく聞きます。
概ね賛成ですが、オールドファンのひとりとして個人的に思うことを以下に記します。
あくまで個人的意見ということをあらかじめお断りしておきます。
個人的に考えるこち亀が面白くなくなった理由
理由1.両さんのキャラクターが変わった
主人公、両津勘吉(設定では35歳前後)は初期の頃から仕事中に競馬やパチンコをしたり、拳銃をすぐにぶっ放すなどめちゃくちゃな人でした。
しかし、気のいい人情家でもあり、人望もある人でした。
荒っぽいけど、照れ屋で世渡りに不器用なところもある人でした(最初期は手先も不器用でした)。
江戸っ子の典型と言えたかもしれません。
誰とでも強引に知り合いになるキャラではありませんでした。
春日八郎が好きで、ハードロックなんて知りませんでした。
元々署の旅行代金をケチって懐に入れようとするなど、せこいところはありましたが、金の亡者ではありませんでした。
プラモや競馬に使う金が欲しいのであって、金そのものがほしいという感じではなかったのです。
どんな手段を使っても金を手に入れるという、途中から見られる描写には違和感がありました。
しかも、動く金が桁外れとなって読者にはピンと来ないようなレベルになってしまいました。
段々、人間性がお下劣になって行ったのにも引くものがありました。
かわいい子が好きでエロ本などを読んでいるような描写は初期からあったものの、積極的にのぞきをするような描写はなかったように思います。
詐欺まがいのことをしたり、相手の弱味に付け込もうとしたり……まあ、初期からそういう描写が全くなかったわけではないのですが、段々両さんに対して失望して行くようになってしまいました。
理由その2.表現がオーバーになった
ギャグ漫画ゆえか仕方がない部分もあるのでしょうが、表現がオーバーになって行ったことに引く部分もありました。
両さんって、本来オーバーアクションで感涙するようなキャラではありませんでした。
飛行機から落ちても無傷なんてキャラではありませんでしたし、普通に転んでは痛がっていたキャラです。
拳銃をすぐに撃ってはいましたが、警察署を爆破するような人ではありませんでした。
小銭をケチるような人でしたが、何億も動かすような人ではありませんでした。
地獄に落ちても閻魔大王に勝つようなキャラではありませんでした。
魔法使いのじいさんが現れて、ハエに変身させられたのは100巻以前のことですが、これもどうなのかと思いました。
中川や麗子についても、お金持ち描写は最初期からありましたが、世界経済を動かすような存在ではありませんでした。
このあたりは少年ジャンプ漫画にありがちな強さのインフレと似たことなのかもしれませんが、話が大きくなっていくにつれて感覚がマヒして行き、ついて行けなくなってしまいました。
理由その3.余計なキャラが増えて行った
元々、多彩なクセのあるゲストキャラが登場する漫画ではありましたが、一話限りとか、忘れた頃に再登場というキャラが多かったように思います。
レギュラーキャラはほぼ固定でした。
しかし、いつ頃からか、レギュラーキャラが増えてきて、しかも寺井や戸塚と言った初期の人気キャラを追い出して存在するものですから、オールドファンには悲しいものがありました。
それが魅力的なキャラならまだ許せるのですが、大阪の警察署のメンバーのような、正直どこが面白いのかさっぱりわからないキャラたちや、ロボット警官のようなファンタジーキャラが固定されたのには違和感しかありませんでした。
この連中は作者さんのお気に入りだったのでしょうか?
寿司屋の擬宝珠一家あたりは個人的にはまだ許せたのですが、これらのキャラは……
アメリカ海軍のキャラとかもイマイチに思いました。
次々と登場する女性キャラたちが、巨乳を通り越して爆乳とか奇形というべきレベルになっているのにも引くものがありました。
女性キャラの胸が大きいと人気が出ると作者さんは本当に思っておられたのでしょうか?
読者はタバコ屋の洋子ちゃんのような女性キャラをもっと見たかったのでは?
特殊刑事たちもただの変態というか、流行に乗ったパロディキャラばかりで、笑えるようなレベルではありませんでした。
インターポールの刑事とか、レプリカの車を売るオヤジや、インチキ家電を売っていた音田弘のような、味のある往年のキャラに比べると見劣りしました。
理由その4.絵柄が変わりすぎた
表現がオーバーになったことと一部関係しますが、絵柄が大きく変わったのも初期を知る読者には引っかかるものがありました。
最初期の劇画調の絵がいいと言っているわけではありません。
長期連載漫画では必ず絵柄が変わります。
これは宿命ですし、大抵画力が上がったと感じることが多いので悪いことばかりではありません。
しかし、こち亀の場合、100巻近くからは作者が本当に描いているのかと疑うくらい絵柄が変わりました。
アシスタントの方が大半を描いて、作者は一部だけペン入れというケースも多々あったのではないかと推測されます。
このアシスタントの方が描いたと思われる絵が作者さんの絵柄と大きく違うから違和感が多々ありました。
世界観が変わったのかと思うくらいでした。
もしかすると、オーバーな表現が使われるようになったのも、作者さんが描く部分が少なくなったからでしょうか?
分業制が悪いというわけではありませんが、作風まで変わってしまうのはどうかと。
たまにおふざけで少女漫画風に描くとか、そういう企画は面白いとは思うのですが、毎回となるとねえ……
こち亀が面白くなくなった理由・まとめ
ここまで好き勝手に書かせてもらっておいてなんですが、私は全体的にこち亀という漫画は好きですし、後半すべてが面白くなかったと言っているわけではありません。
前半だって、中には面白くない話がもちろんありました。
後半にも作者が直接描いたと思われる話には面白いなと思う話がいくつもありましたし、好き嫌いはあるでしょうが、いわゆる感動回も多々ありました。
もっとも、ハズレ率は圧倒的に後半の方が高かったとは思いますが……
結局、初期の傑作を知っているだけに、後半が物足りなく感じてしまうのでしょう。
以前ならこんな風に描かれていたはずだ……なんて、勝手な想像をしてしまい、なんだかもったいない気がするのですね。
この記事を書いていて思ったのですが、100巻以前を知らない世代が100巻以降のこち亀を読んでどう思っていたのかな……と。
彼らが初期のこち亀を読むと、逆に「こんなおっさんが両さんなわけがない」と思うかもしれません。
考えてみれば、両津勘吉さんは永遠の35歳という設定。
昔のオヤジ世代の35歳と違って、今どきの35歳はまだまだゲームや漫画に夢中な世代。
春日八郎より、ハードロックを聴くでしょう。
両さんも今どきの35歳と考えたら、後半のキャラ設定は妥当なのかもしれません。
結局、自分たちが両さんより歳を取ってしまったのが、面白く感じなくなった原因なのかもしれませんね。
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