いわゆるクソゲーと呼ばれるものがあります。
簡単に言えばつまらないゲームのことですが、長年ゲームというものを楽しんできた世代として見てみると、愛されているクソゲーと愛されていないクソゲーがあるように思います。
その違いは何かと考察してみました。
なお、あくまで個人の見解であり、これから挙げるタイトルがクソゲーとみなすかどうかは人それぞれだと思いますので、あらかじめご了承ください。
愛されるクソゲーの例
クソゲーとして第一に思い浮かぶタイトルは何でしょうか?
真っ先に名前が挙げられるのは「たけしの挑戦状」や「スペランカー」「トランスフォーマー・コンボイの謎」あたりでしょうか?
年代が違えば、もっと違うゲームが出てくると思います。
一応説明しますと、「たけしの挑戦状」はビートたけしさんが制作にかなり関わったゲームで、理不尽なゲームとして知られています。
どう理不尽かというとまったくゲーム中にヒントがなく、攻略本を買わない限りは何をしていいのかもわからないゲームです。
スタートして町を歩いていると、いきなり歩行者から襲われてゲームオーバー。
どこに進んでいいのかもわかりません。
スナックでカラオケを3回歌うと話が進むというような展開があるのですが、ヒントが何もないのでさっぱりわかりません。
終盤はハングライダーを操作するシーンがあるのですが、操作性が悪く、大変難易度が高いです。
宝の地図を表示するために水に浸して1時間本当に待つなんてシーンもあります(裏技を使えばすぐに表示されるのですが、もちろんノーヒントです)。
序盤に奥さんに離婚届を、会社に辞表を出しておかないとあとから宝を奪われてそれまでの苦労がパーになるなんてひどい展開もあります。
「スペランカー」については、すぐにケガをするスポーツ選手を「スペランカー体質」と呼ぶなど、今では人口に膾炙しているゲームです。
スペランカーというのは「冒険探検家」という意味です。
そのスペランカーが洞窟の奥にある財宝を探しに探検するというゲームなのですが、とにかく主人公がひ弱なのが一番の話題となりました。
どれだけひ弱かというと、わずかな段差に落ちて死亡、コウモリの糞が当たっただけで死亡という具合です。
とても探検家と思えない弱さでした。
スーパーマリオのようなゲームを経験しているものには信じられない存在でした。
主人公がひ弱なこと以外は悪いゲームではなかったのですが、当時は金返せと思ったものです。
「トランスフォーマー・コンボイの謎」はスタート直後2秒で死ぬゲームとして有名です。
敵の弾が小さすぎて見えないのです。
プレイヤーは一瞬何が起こったのかわからないので呆然としてしまいます。
その場所を超えてしまえばある程度はプレイできるのですが、このゲームも目的がノーヒントで不親切です。
かなり難易度は高いです。
ところで、これらのゲームは当時「ふざけんな金返せ!」と思ったゲームですが、「スペランカー体質」のように広く親しまれている節もあります。
なぜなのでしょうか?
共通体験が重要なポイントか
いくつか理由はあると思いますが、ひとつは共通の体験としてノスタルジーを感じるというのがあるのでしょう。
ファミコンブームにタイムリーな世代はほぼ共通体験として、これらのゲームを知っています。
「たけしの挑戦状」に関しては、ビートたけしが関わったことと、折しもフライデー襲撃事件が起きた直後に発売されたこともあって、大変話題になったゲームです。
およそ80万本の売り上げを記録しており、プレイした人数は相当かと思われます。
阿鼻叫喚した人間がそれだけいるなら当然共通の体験として伝わっています。
「スペランカー」や「コンボイの謎」に関しても同様です。
当時はインターネットで情報を手に入れるなんてこともできず、一部のゲーム雑誌やコロコロコミックなどでゲームの情報を得ていた時代です。
逆に言えば選択肢がなくて、ひとつのことをみんなが追っていた時代です。
まさしく共通体験です。
飲み会で同年代が集まると昔見たアニメやプレイしたゲームの話題で盛り上がることがありますが、それと似た現象です。
もうひとつ考えられるのが惜しいゲームであるということです。
スペランカーは主人公が虚弱体質であること以外は悪いゲームではありません。
たけしの挑戦状はちゃんとヒントさえ散りばめられていたら、ビートたけし特有のシュールなギャグが楽しめたでしょう。
コンボイの謎については弾がもう少し大きく表示されていれば……
レリクス暗黒要塞というこれまたクソゲーとして名高いゲームがありますが、これは2,3歩進んだだけでディスクロードがかかるのでイライラさせられたゲームでした。
これがもし今のスペックのハードで作られていたら……
当時は今時のゲーム機に比べてスペックや容量にかなり制限がありましたし、ネット配信なんてものもありませんから、修正パッチを当てることもできませんでした。
アイデアは良くても技術や容量の問題で活かせないこともあったのではないですかね。
では、愛されないクソゲーとは?
個人的には有名メーカーの作った前評判の高かったゲームが期待はずれに終わると叩かれやすいように思います。
具体例を挙げますと、プレステで発売されたパワプロシリーズのいくつかです。
人気シリーズの最新作がプレステで遊べると期待されたのですが、選手交代をするだけでも、長いロードがかかってイライラさせられるゲームでした。
ファミコンやスーファミと比べ、圧倒的なスペックのハードで大手メーカーが開発したというのにこの出来ですから、当然ガッカリ感も大きかったです。
パワプロ13に至っては、人気のサクセスモードも選手をひとり作るだけで一時間以上のプレイが必要でした。
しかも、ゲーム全体にバグだらけ。
本当にテストプレイをしたのかというくらいでした。
ゲーム雑誌なども大手メーカーの人気シリーズだけに批判をしづらかったのか、「ひどい出来」とは書いてくれませんでした。
パワプロに限らず、派手なグラフィックや演出など、見かけだけはいいのにゲーム性は……というゲームも多数ありました。
この手のゲームは愛されないクソゲーの例だと思います。
あと、アニメや漫画、人気キャラクターなどの版権を得たものの、ゲームとして面白くないものは愛されないクソゲーですね。
キャラクターを使っておけば、ファンなら絶対買うだろうという姿勢が見えてしまうからです。
とはいえ、ファミコン版の「タッチ」のように青春野球漫画がなぜかアクションゲームになるというくらいぶっ飛んだレベルになれば伝説になりますが。
まとめ・結局、時代背景がすべてかも
ファミコンの時代は先述したように今より市場も狭かったですし、ゲームの本数も少なかったです。
情報もほとんど得る術がありませんでした。
となると、みんな同じような体験をしているわけで、同じようにクソゲーをプレイして苦しんでいます。
今の時代は比べものにならないくらいゲームの数が増えていて、共通体験できるものが減っています。
面白いゲームならともかく、クソゲーの共通体験となるとレアなはず。
クソゲーは今もあるのでしょうが、愛されるクソゲーというのはもう出て来ないのかもしれませんね。
それこそビッグタイトルが大コケでもしない限りは。
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