2004年3月20日に亡くなられたザ・ドリフターズのリーダーいかりや長介氏。
今回紹介するこの「親父の遺言」は、いかりや長介氏の長男、いかりや浩一氏が息子から見た父親について書かれた本です。
2006年発売の書籍なので、長介氏の死から2年後に書かれた本となります。
ここには、テレビ画面でしか見られなかったいかりや長介氏の実際の姿が描かれています。
いかりや浩一氏とは?
著者のいかりや浩一氏は1969年東京都生まれで、いかりや長介氏と繁子さんの間に生まれた長男です。
まゆみさんという姉がいるようなので、長子というわけではありません。
明治大学卒業後、森永製菓で勤務する傍ら、株式会社ドリフターズの代表取締役を兼務されているそうです。
この本の構成について
基本的に著者の幼年時代から長介氏の死に至るまでが記されています。
幼年時代に受けたしつけ、3人の母、反抗期のこと、社会人になってからの父との関係、そして、長介氏の闘病生活……
以下、印象に残った点をいくつか紹介させていただきます。
いかりや家のルーツについて
いかりやという苗字は漢字では「碇矢」と書き、ルーツは新潟にあるそうです。
いかりや長介氏の父、著者から見て祖父に当たる人物が新潟の実家を飛び出して上京したのが東京に住み始めたきっかけだそうです。
祖父は茨城出身の女性と結婚し、生まれた子がいかりや長介(本名、碇矢長一)氏です。
祖父の名前が「一郎」で長介氏の本名が「長一」だったこともあり、著者にも「一」の漢字がつけられ、「浩一」と名付けられました。
「浩」という字は当時、浩宮様(現在の天皇陛下)にあやかって名前に付けるのが流行していたそうです。
「碇矢」という苗字がなかなか正しく読まれないので、娘(まゆみさん)の名前はひらがなにしたそうです。
いかりや長介氏のしつけについて
いかりや長介氏は若くして母親を亡くし、父親からは厳しいしつけをされていだそうで、その経験から自分の息子と娘はとことんかわいがる姿勢だったとか。
子供たちには「パパ」と呼ばせていたそうです。
仲間たちからは似合わないと言われたとも。
ハワイアンやロカビリー、カントリー・ウェスタンのバンドにいた経験から、アメリカ文化に憧れていた側面もあるとか。
しかし、溺愛すると言っても悪いことをしたときは当然怒る人で、女である姉には怒っても手を出さなかったけれど男である著者にはビンタや拳骨が度々あったそうです。
ただ、そのあと一緒に風呂に入るなどフォローも忘れていなかったとか。
「ありがとうと言える人間になれ」
「ごめんなさいが言える人間になれ」
「嘘を付く人間にはなるな」
「人に迷惑をかけるな」
「泥棒はするな」
という「5つの教え」がいかりや長介氏が口を酸っぱくして言っていた教えだったとか。
三人の母
いかりや長介氏は3回結婚しています。
著者にとっては3人の母がいることになります。
生みの母である繁子さんは元々ホステスをしていて、若き日の長介氏を食べさせていたほど稼いでいたそうですが、ドリフが売れてくると立場が逆転しました。
残念なことに、その頃から心の病を患うようになったそうで、著者が小学1年生の頃、静養のため別居することになりました。
その後、両親が離婚したため、断片的ないい思い出はあるもののたくさんの記憶があるわけではないそうです。
写真も一枚しか残っていないとか。
別居後に高橋さんという家政婦さんがやってきて、この人が住み込みであった上、熱心に教育までしてくれる人だったため、育ての母と言えるほど懐いたそうです。
しかし、この人も再婚することになり、いかりや家から去っていきました。
あとで長介氏に聞いた話では、高橋さんから長介氏は求婚されたけれど断っていたとか。
2番目の母親は恵津子さんという女性で、元々服飾デザイナーを目指していたというおしゃれな女性だったそうです。
何度もいかりや家に来ていて、著者は「お姉ちゃん」と呼んでいたとか。
その「お姉ちゃん」が後に長介氏と結婚し母になるわけですが、膠原病にかかったのを苦にし、おそらく自殺と思われる死因で自宅の庭で亡くなっているのが発見されました。
3番目の母は義子さんという女性で、2番目の母である恵津子さんと同時期に出会っていたそうです。
潮来にある旅館の娘さんだったそうで、そこに遊びに行った際に著者は出会ったとか。
未亡人で年の近い男の子がふたりいたこともあり、子供同士仲良くしていたとか。
つまり、2番目、3番目の母は、著者にとってあらかじめ知っていた女性だったそうで、確執といえるほどのことはなかったそうです。
いかりや長介の息子として
有名人の父親、それもコメディアンという存在を持ってしまった宿命というべきか、からかわれたり、冷やかされたりする経験はたくさんあったそうです。
ただ、著者はガキ大将タイプだったそうで、いじめというほどの被害は受けていないとか。
就職する際、マスコミ関係を考えたそうですが、長介氏からは「やりにくいからやめてくれ」と言われたそうです。
もちろん、芸能界などもってのほかだったとか。
役者としてのいかりや長介
いかりや長介氏は「全員集合」終了後の加藤茶や志村けんの活躍を見て、時代が変わったことを感じながらも、それなら役者で名を上げてやるという密かな対抗心を持っていたそうです。
元々、長介氏は自分が出た番組は見ないというポリシーを持っていたそうですが、俳優になってからは考えが変わったそうで、何度も録画した出演作を見るようにしてまわりの意見を聞くようになったそうです。
ショーン・コネリーを意識していたとか。
後に日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受けたのは説明不要の有名な話ですね。
闘病生活と最後
頸部リンパ節がんで亡くなられた長介氏ですが、実は2000年に初期の食道がんにかかっておられました。
マスコミなどには一切公表しなかったそうです。
実際、初期だったので、このがんについては内視鏡手術で治ったそうです。
食道がんになった経緯から、元々、健康管理には気をつけていた長介氏ですが、ますます身体のケアには気をつけるようになりました。
ところが、2003年のある日、首のあたりに腫れがあることに気づきました。
その年に限って、いつもより定期検査が遅れていたそうです。
近所の病院では手に負えないということで大きな病院に行き、検査を受けたところ、頸部リンパ節がんと判明。
しかも、ステージ4という重症でした。
それでも、本人、家族ともに治すという気持ちを持ち、ガンに挑みました。
ドリフ大爆笑の長年古い映像が使われていたオープニング画像を撮り直したり、ひそかに志村けん氏の舞台を見に行くようなこともあったそうです。
しかし、日に日に病状は悪化していき、抗がん剤投与や放射線治療、胃ろうなどの処置が取られましたが、残念ながら2003年3月20日、この世を去られました。
この本には最後の10日間について、詳しい様子が記録されています。
また、大勢に見送られた告別式のことなども記されています。
最後に……私的感想
最初は楽しく読める本でしたが、最後の方はしんみりとしてしまうものがありました。
しかしながら、テレビの向こうの人でしかなかったいかりや長介氏がひとりの人間として、こんな人だったんだなと思わせてくれる名著でした。
ドリフの歴史をいつかまとめる人が現れたら、重要な文献になるのではないですかね。
この本が出版された際、帯にドリフメンバーのコメントが記されています。
加藤茶「久しぶりにオヤジと酒が飲みたくなった」
仲本工事「強くて、恐い、長さんが大好きでした」
高木ブー「こんな親父が欲しかった」
志村けん「こんな長さん、見たことなかった……」
なんだか、志村けんさんのコメントがすべてを表しているように思いました。
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