明智光秀の出身地に新説? 近江出身か? 文献見つかる。

書評・その他

報道によると、一般的に美濃の国出身とされている明智光秀ですが、近江の国、多賀の佐目出身と書かれた文書が、滋賀県立図書館で見つかったようです。

1672年に記された「江侍聞伝録」という文書だそうです。

光秀の出身地が近江という説は以前からありました。

「淡海温故録」という文書がそれで、同じように出身地は多賀の佐目でした。

しかし、今回の資料はそれより10年以上前に書かれたものということで、光秀に関する資料の中でもかなり古いものになるようです。

作者は木村重要という人物のようですが、初めて聞く名前です。

近江の地侍のようですね。

光秀について書かれているのは、明智十左衛門という人物が美濃から山ひとつ越えて近江にやってきて、その2、3代あとに光秀が生まれたということらしいです。

また、川に流れてきた大黒天の像を拾えば1000人を率いる将になれると聞いたものの、自分はもっと多くを率いる存在になりたいと打ち捨てた逸話も収録されているとか。

光秀について、当時の貴族の日記に「とき(土岐)の随分衆なり」という記載があり、美濃守護だった土岐氏の出自とされています。

それに対し、滋賀県の学芸員の方は「当時の出自は生まれた土地ではなく、先祖の地(本籍地)も含めていたのではないか」と推測されています。

血筋などが重要視された時代だけに、そのとおりかと思います。

あとは、なぜ美濃から近江にやってきたのか、その理由を知りたいところですね。

それにしても、大河ドラマ放映を前にすると、毎回新しい資料が出てきますね。

滋賀県は坂本城築城など光秀が活躍する土地だけに、この機会にゆかりの地を売り込みたいという思いがあって、このタイミングを狙ったのでしょうか。

以前も、光秀の愛刀が見つかるなんて報道がありましたが、まだまだ何かが出てきそうな気がします。

明智光秀の愛刀「備前近景」が再発見されたそうです。
新聞報道によると、明智光秀の愛刀と伝わる「備前近景」が再発見されたそうです。 彦根藩の重臣だった木俣氏に伝わっていたものが、明治維新の際に行方知れずになっていたのを、現在の所有者が京都にある井伊家の末裔が経営する井伊美術館に鑑定を依頼し、本

明智光秀は謎が多い武将なので、新たな発見に期待したいですね。

本能寺の変の謎も解けることに期待したいです。

そういえば、秀吉にも近江出身だという説があります。

秀吉の幼名は日吉丸といいますが、これは近江にある日吉大社(全国にある日吉(日枝)神社の総本山)から取っているというのが根拠でした。

そして、日吉大社で神の使いとして扱われているのが猿なんですね。

秀吉のあだ名と言えば、まずは「猿」ですが、はてさて……

2020.01.21追記

大河ドラマ放映に合わせてか、多賀大社が「本能寺の変」のあと、神社に対して乱暴狼藉を働かないて記した光秀の書状を公開したようです。

安土城や長浜城を光秀は、本能寺の変のあと、すばやく接収していますが、多賀大社は故郷の地ということで、見逃したのでしょうか?

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